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閑話休題(その33): 父の話 続編

私の父のことを以前書いた。
満州の専門学校(今の工業大学)で土木を学び、日本に帰国後は土木技術者として、地方の役所で道路整備や治水事業、地域開発事業に携わって地域発展に貢献してきた。

役所に勤めていた頃は、かなりの仕事面での潔癖症で、定年退職するまでに2回ほど、市長へ退職願いを出したらしい、との話を母から聞いたことがある。
また、お中元・お歳暮の時期は、業者からの届け物は全て送り返していた。
この父も役所を退職した後は、2年ほど地場大手の建設会社へ再就職をしたが、その後は独立し自分で建設会社事務所を作った。
従業員は父と母のみの小さな貸し事務所に、測量設計事務所と建設会社、司法書士事務所、呉服屋の4つの看板を掲げていた。
私はこの頃は、まだ学生で、父がどのように独立起業の準備をしていたのか、全く知らない。
収入はわずかであったようだが、退職金と年金でなんとかやりくりができたらしい。

父がよく口にしていたのは、自分は唯物論者ではなく、唯心論者であるとの言葉だ。
信念どおり、自宅の建て替えも行わず、電化製品や家財も高級品は一切なかった。

父の仕事は、学生時代の夏休み・冬休みに何回か手伝ったことがある。
山林の測量、田畑の測量、ガードレールの敷設。人手が足りない時は、父がどこからか学生アルバイトや他社の従業員を借りてきて、それなりに工期どおりに期限を守っていた。
今思えば、自分のスキルを生かしながら、父も仕事が楽しかったのでないだろうか。

事務所には、母が一人で留守番をして問い合わせ等の対応をしていた。
この頃の、母は楽しかったのかどうか、心のうちを聞いたことはない。

起業を始めて5年後に、父は病気で倒れ帰らぬ人となったが、その際に建設会社等の看板を母が引き継いではどうか・・との話もあった。
番頭的な人を雇って、会社や事務所経営はできるとの話だったが、母は全く一人で事業を行うつもりはなく、あっさり断ったようだ。
その頃、私も兄弟もサラリーマンとして就職しており、会社を辞めて、父の後を継ごうなどとはこのころは思いもしなかった。
後で聞いた話では、建設会社も測量事務所も、なかなか新規の看板を出すことが難しかったらしい。

・・・今は昔の思い出である。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

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